『踊る一寸法師』(1926)

SNSによる陰湿な匿名の書き込みが最近話題になっている。イジメの話題も全くなくならず、人というのはなぜ弱い者や少数の立場の者を攻撃するのかと考えさせられてしまうが多分、人間の本能に近い部分にある暗い欲求とか性質がそうさせるんじゃないか、とも思う。

最近はメディアの表現もかなりの割合で規制され、本来アナーキーな存在である芸能人が率先して素晴らしいことを言う。炎上目的の一部の実業家や政治家は別として、だが、それでも例えば今回の「踊る一寸法師」のように、身体障碍者をイジメぬくという描写や表現は決して現代では行われないだろう。

最近の若い人達に一寸法師と言っても昔話の一寸法師しか思い浮かばないだろう。しかし江戸川乱歩の時代の人や江戸川乱歩で育った我々は背丈の異様に小さいオジサンのことを思い浮かべる。子供の身体に通常サイズのオッサンの顔。見世物小屋の中で、酒が飲めないというそのオッサンの顔を酒の樽に漬け、顔をドツいてキャッチボールのように行き来させ、玉乗りの美女に顔面騎乗させて周りはゲラゲラ笑う。

その場の心ある人が、余興なら他のことをするように提案するのだが、やっぱり「それじゃオッサンにまずやらせようぜ」という無茶ぶりが起こるのである。映画「パラサイト」でもあったが勝ち組と底辺との間では争いはさして起こらず、同じような集まりの中での優劣でイジメが起こるんものだと、100年近く前の小説で気づかされる。そして衝撃なのはその表現と、鮮烈なのはその復讐である。

江戸川乱歩さん、どうしてこんな後味の悪い小説を書く気になったのか?と、問う機会があれば問いたい気持ちになる人も多いと思うが、実はこの作品、エドガー・アラン・ポーの『ちんば蛙』という小説に大きな影響を受けたという。うーん、これも実に似たような話です。

「他者を痛めつける行為」に対する嫌悪感とその反作用であるところの怖いモノ見たさ。そしてその壮絶なシッペ返しに対する恐怖と、その中に潜むカタルシス。ポーも乱歩も人間の持つ裏暗い感情を泡立てようとして筆を進めたんだろうなと勝手に思うのだが、

今現在、創作やメディアでいくらこういう表現を遠ざけたところで、他人を攻撃し、子供を虐待し、弱い者をあざ笑うという人間の醜い部分は無くなるどころか加速しているようにも思う。むしろ小説や映画の中でこういう「怖いもの見たさ」を満たした方が世の中のバランスは取れるんじゃないかとも思えるぐらいである。

醜いオッサンの顔。美しい女性の顔。月光の下で互いの顔は見えないが、奇妙なシルエットがクッキリと読み手の脳裏に浮かぶ乱歩の筆力。ポーよりも和風テイストな方が我々にとってはより残虐に映るという、なんというか、手放しでおススメできない作品ではあります。短編なので入手できればサラッと体験されたらどうでしょうか。オジサン、踊っております。







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