手加減火加減、いい加減

私も自分で驚いちゃうんだけど、思いっきり麻雀に対する欲望が無くなっている。ギャンブルは負けてる時ほどアツいというが、そういう意味ではパチスロはいつだってアッチッチ。麻雀でドキドキすることより、面倒だと思うことが多くなったからだろうか。

立派な学歴を引っ提げて、凡そ負けとは無縁の人生を歩んできた人が軽い感じで上司の誘いで卓に着く。和気あいあいと進めばいいが、コチラが少し加減を間違えて3万円でも勝とうものなら、「今度会った時に精算でいいですか?」となる。

いやいや、その人は非常に真面目でチャンとした人なんで、数日後にはメールで連絡をくれて、時間も聞いてくれて、「この間はスイマセン」と耳を揃えて万札を3枚手渡してくれるのだが、やれ奥さんに何と言ってきたのか、何に使う予定のおカネだったのか、と、

まあ私に心配される謂れのないステキな人生を歩んでいる人なんだけど、少し後ろめたい気になるのである。それに気づいた時、(ああ、オレは奪う側には向いてないんだな…)とも思うのである。

また麻雀とは字の如く、時間が経つのを忘れるような魅力というか麻薬のような中毒性があるのだが、言い換えれば時間を異様に浪費する。低レートでチマチマ打つのは、カネだけでなく時間のムダという面が非常に大きい。タマの社内の付き合いならまだいいが、

営業部門のエライ人に「凡作、今週は仕事忙しいの?」と聞かれて、「水曜以外は土日も含めて全て埋まってますね」と答えようものなら、水曜日に確定メンバーとして強制召喚される始末。こういう時に加減を間違えてはいけない。

プロの料理人がオムレツを作るがごとく、火加減や手加減をじっくりと見極めた上で、その雀荘で飲んだ分ぐらいの出費で抑えた上でひと言、「スミマセン、腕がまだ足りてないようなので今後は少し遠慮させて頂きます」、と。

ギャンブルというものは愚者は運のせいにし、弱者は他人のせいにする。賢者はそもそもギャンブルに参加しないが、ホントの強者は得てして弱いフリをするものである。私がそれを学んだのは若き日の、「お前に足りないのは運だけだよ」という言葉に騙されて、カモとして麻雀で巻き上げられていた、あの頃と、

夢で見たハマりの悪夢をそのまま現実の投資として語り、松戸税務署を煙に巻こうとしているスロのプロ、私のスロの師匠の言動だったりする。で、師匠。今日はいくら勝ったんですか?







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