「天城越え」 (1983)

石川さゆりの「天城越え」もよくよく聞いてみると意味の分かりにくい歌詞なのだが、松本清張原作のこの映画「天城越え」も大作のようで、ミステリーのようで、雰囲気はあるんだけどよくよく意味の分かりにくい映画だ。

静岡県の下田と修善寺の間の山道なら、毎年西伊豆のポンチャイ邸に遊びに行く私なら何度も車で越えているのだが、昭和の初めという昔なら物理的にも困難さは全然違うし、主人公の少年にとっては精神的にも全く異なるものであっただろう。

ざっくりいうと母親の情事を目撃した多感な時期の少年が、自分の住む下田の家を家出して天城越えをして修善寺に向かう間に、足抜けした遊女に出会い少し旅を共にした時に起こった事件の話である。その少年が老境に差し掛かるまでずっと心に残っている後悔というか、その人間ドラマが松本清張っぽい味わいを醸している。



(下記ネタバレ)



って毎年海水浴とパチスロで負けに行く為に下田やら西伊豆に行く私と違って、天城越えには本来ちょっと艶っぽいイメージがあるわけですよ。いいオッサンが女性を連れて下田やら修善寺に行くといったら、大抵の場合やることはひとつ。石川さゆりの♪あなたと~越えたい~ というのは絶頂という名のエクスタシーなのは明白。

思春期真っ只中の少年が、下田の家を出るきっかけも性への目覚めだし、天城越えの途中で出会った艶っぽいお姉さんと出会い、(あ、今日一緒に泊まるってことは、で、できるぞ!こんなキレイなお姉さんとできるぞ!)と

まあ、全くクラウンとかで下田の温泉街に向かい天城越えをしてるオッサンと同じ心境なわけで、そんな時にジャマされたら相手の男を殺しちゃっても不思議じゃないよねって話。まあ劇中ではもう少し上品に描いてるけど、男の、特に思春期の男の嫉妬とか欲望のグチャグチャした状態を理解しないと殺人の動機が成り立たない。

実際に渡瀬恒彦が演じる刑事は動機を見誤って長い年月を棒に振る。少年がもっと幼かったら、もしくは少年でなくもう少し大人だったら、この事件は起こらないだろう。女性と性に対する憧れと嫌悪が入り混じっている状態だからこその葛藤だし、このヘンの運命のイタズラ感がやっぱり松本清張っぽいなーと思う。

母親役の吉行和子と、遊女役の田中裕子。お二人の生々しいファ〇クシーンがあるのですが、この良さがわかるようになったのに気づき、自分もオジサンになったなあと思う。それこそ中高生の頃に見た時はアイドル的な女性に憧れていたんだろうね、2人の女性としての魅力を相当見逃してたと思います。

被害者の土工、濡れ衣を着せられた遊女という立場の弱い人に対する罪悪感とか、多感な少年の感情とか、数十年越しの刑事の執念とか、伊豆を舞台にした旅情とか、松本清張っぽさは炸裂してますが、うーん、女性とかはこの映画を見てピンときたりするんですかね?いつか聞いてみたいものです。











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